彼の自伝『乾いたギロチン (Dry Guillotine)』(1938年)はフランスではなくアメリカでベストセラーとなった作品であり、彼がフランス語で執筆した原稿が英語に翻訳されアメリカで出版されたものである。
戦前の古い作品ということもあり、過去のものとして忘れ去られつつあったその存在が最近少しずつではあるが母国フランスで再び知られるようになってきている。著者のベルブノワはかつてジャーナリストだったため、この作品はジャーナリズム調の文体で書かれており、フランス領ギアナ流刑地のルポルタージュ的な側面が非常に強い。流刑地で実際に体験し見聞きしたことを忠実に正確に綴っている。それと同時にもちろん、彼が実際に行ったとされる信じられないような脱獄の経緯についても満遍なく語られている。
ルネ・ベルブノワ(1899〜1959)
1938年当時のルネ・ベルブノワ Photo courtesy of Victoria Dailey
『Dry Guillotine』
著者のルネ・ベルブノワが直筆したフランス語の原稿はそのままフランスで出版されたのかというと、実はそうではない。彼がフランス語で執筆した原稿を英語に翻訳した『Dry Guillotine』をさらにもう一度フランス語に翻訳したものが『Les Compagnons de la Belle』というタイトルでフランスで出版されている。おそらく、彼がフランス語で記した原稿に何らかの問題があったのだろう。ちなみに、『Dry Guillotine』は今までに十二カ国以上に翻訳されている(以下はその一部である)。
ベルブノワはアジアでは無名だと思っていたのでタイ語と中国語の翻訳作品が存在したのは意外だった。中東では、トルコ語やペルシア語の翻訳がある。
2023/7/10にようやく日本語翻訳の出版に至ったが、すぐに主語・指示語・接続詞が多くて読みにくいことに気づき、7/20に全体的にできる限り修正したので読みやすくなっていると思う(一部誤解を生むような訳をしてしまった箇所があったため、それも修正済) 。修正されたバージョンは、巻末にそのことを記載してある。普段英語と仏語を使うことが多いので、つい日本語でも主語や指示語をいちいち使う癖がついてしまっていた。
また、痛恨の誤訳や誤りを後から発見した。以下に記載する。誤訳のせいで意味不明な箇所があったと思います。深くお詫び申し上げます。
・P.108 ✖検診を受けに行くたびに、 〇検査を受けるたびに、
✖再び医者を訪ねた 〇再び検査を受けた
・P.109 ✖特別な訪問検査と集中的な治療を 〇病院へ行く特別な許可を
✖特別な訪問検査を要求した 〇病院へ行く特別な許可を求めた
・P.131 ✖三世紀前、ルイ十四世 〇二世紀前、ルイ十五世 ※この部分は『Dry Guillotine』と続編『Hell On Trial』の原文でも誤りがあった。1760年代、ルイ十五世の時代にギアナに到着した入植者らによって"救済島"と名前が付けられたというのが正しい。
・P.164 ✖鉄 〇金属 ※銀か銅のスプーンに熱濃硫酸を注ぎ、二酸化硫黄(亜硫酸ガス)を吸い込んだか。高濃度の二酸化硫黄を吸い込むと、気管支炎を引き起こす。
・P.171 (Blair Niles 『Condemned to Devil's Island』の著者)
・P.199 彼らは八十パーセントの確率で流刑地へ連れ戻される。どうにかしてベネズエラを越さない限り、この脱走は悲惨な結果に終わる。
どうにかしてベネズエラを越さない限り、彼らは八割方、流刑地へ連れ戻されるか、そのほかの悲惨な結果に終わる。
文 / 宗功希
【参考資料】
(書籍)
• René Belbenoit, 『DRY GUILLOTINE fifteen years among the living dead』,NEW YORK ・BLUE RIBON BOOKS,(1938)
• René Belbenoit,『Guillotine Sèche』,La Manufacture de livres,(2012)
• René Belbenoit,『Hell On Trial』,Bantam Books,(1971)
• Philippe Schimitz, René Belbenoit,『Matricule 46635 L’extrodinaire aventure du forçat qui inspira Papillon』, MAISONNEUVE &LAROSE,(2002)
• Francis Lagrange『Francis Lagrange Bagnard,Faussaire génial』,EUGENE EPAILLY(1994)
(YouTube)